|
毎年5月になると、ローザンヌの新聞に広告が出ます。「ドクター・ベアトチェロの演奏会があります。」2009年度は、5月9日、司教座聖堂で、600人の聴衆を集めました<写真下>。 ドクター・ベアト・リヒナーは、チューリッヒ出身、62歳の小児科医、チェロと堅固な決意で、奇跡を起こしてきました。 ドクターがやってきたこと、やっていることを具体的に挙げてみましょう。 クメール・ルージュにより荒廃したカンボジアに、小児病院5軒と産院1軒を運営しています。毎日、小児1700人以上が入院、その中80%は、ここに入院出来なければ、死ぬしかありません。 毎日、外科手術60回、診察3000回、予防注射3000本、分娩50回ですが、この際の、帝王切開と抗ウィルス処置により、母親から子供へのエイズ菌の感染を防いでいます。 1974年、スイス赤十字は、カンボジアのプノンペンの小児病院、カンタ・ボファに行くボランティアを捜していました。当時、独身で、勿論、子供もいなかったので、ドクターに話が来ました。 1975年元旦、クメール・ルージュが攻撃を開始、4月半ば、首都陥落。最後に病院を出たのが、ドクターで、その後、二年間、鍵を大事にしまっておきました。 チューリッヒに帰り、そして1980年、自分の診療所を開院。その頃、チェロ弾きピエロ「ベアトチェロ」として、演奏活動を始めました。 ポル・ポトは、エリート層を根こそぎにしました。1975年963人いた医者で、生き残ったのは50人以下でした。 1991年、平和協定が結ばれた後、ノルボドン・シアヌーク王はドクターに、カンタ・ボファ復興を依頼しました。ドクターは、はびこった汚職の危険を承知していましたので、迷ったそうです。 汚職こそ、貧乏人とっては、最大の病気と言ってもよいそうです。医療費が、カンボジア農民が極貧になってしまう一番の原因で、80%もの農民が、農地を抵当にして、お金を借りて、医者に行くからです。医者に前もって払うお金がない母親は死んでしまいます。 カンタ・ボファ小児病院では、全て無料、患者は、誰も、何も払わなくともよいのです。そして、ヨーロッパやアメリカの基準にそって、治療を受けてられます。それに加えて、汚職がありません。 どうやって、汚職を防いでいるのか、と言いますと、日常の戦いと監視しかありません。まず、医者の給料ですが、医者はしかるべき給料をもらうべきで、180人の医者は月に約1200フラン(100円=1.19フラン)相当を貰います。政府の病院では50フラン相当です。それから、薬ですが、盗みと転売を防ぐ為、看護士が、毎日、患者一人一人に、その日の分だけ薬を配ります。 ドクター・ベアトチェロは、カンタ・ボファ小児病院には、最新の医術を・・・と目指していますが、西側の政府や、WHO(世界保健機関)では、医療の基準は、その国の経済に見合ったものを・・・と考えています。ドクターによりますと、WHOに従えば、カンボジアでは、ゼロという事になり、デング熱流行の時、22000人の子供は助からなかったことになります。この病院の基準が、ヴォー州立大学病院や、パリや、ボストンの病院と同じ基準でなければ、毎日、150回の輸血をすることが出来ませんし、10人の子供がエイズ菌に、そして、25人の子供が肝炎に感染してしまうことは間違いがありません。 結果ですが、カンタ・ボファ病院では、1983年には死亡率は5.4%でしたが、2009年には0.5%になりました。 一例として、WHOによれば、コンピューターによるトモグラフィー(X線断層写真撮影)は必要なし、と言います。理由は、高級すぎる、高価すぎる、というのです。ありがたいことに、ある人のおかげで、一台買うことができました。この機械のおかげで、子供たちの65%を結核と診断できて、重い骨の病気に前もって準備することができます。これが、カンボジアでは一番大きい問題です。 WHOでの結核の診断では、痰の中に病原菌を見つける、というのですが、子供は痰を吐き出せないのです。 こういうことは、結局は費用の問題で、ドクター・ベアトチェロはWHOの職員と常に問題を起こしています。その人達は、ジェットセット(ジェット機で世界を飛び回る人達)の特権階級で、一泊の宿泊代が400フランのホテルに泊まり、それが当たり前と思っていながら、そこから30メートルしか離れていない小児病院の治療代が高すぎる、というからです。 この小児病院では、平均して、5日半の入院で265フランです。子供の命が265フランで救えるのです。 年間の予算ですが、5%はスイス連邦、5%はカンボジアが負担してくれます。あとは、つまり2200万フランは、ドクターが自分で探さなければいけません。とにかく、間断もなく探さなければいけないので、悪夢ですね。 スイスの開発途上国への援助は1億2000万フランと見積もられています。そして、三度にわたって、カンタ・ボファ小児病院では、費用と効率の割合が、100ヶ国の中で一番という事がわかりました。何故、それでも、ベルンの政府の役人や、WHOの官僚に、お金を下さいと願わなければいけないのでしょうか。 経済危機で、「20フラン作戦」に出ました。100万人が20フランを寄付して下さると、一年間、この小児病院が運営できます。その為か、ローザンヌの地方新聞に、ドクター・ベアトチェロの広告が、5月から四度ほど、載りましたか・・・。 17年間で、寄付3億4000万フランをいただいたそうで、延べ85万人の子供の入院が可能になりました。人々の協力のおかげです。 振り返ってみると、ドクターは、私生活の17年間を失ってしまって、生き埋めにされてしまっている、という感じだそうです。勿論、同僚も、患者もいますが、完全に友人、家族から離れているので、個人的には辛い状況にあり、寂しく、忘れられているのではないか、と思うときがあるそうです。スイスにホームシックというのでしょうか・・・、ヨーロッパ、そして、その文化的な催し、友人達が懐かしくなりますが、でも、ヨーロッパにいると、大抵、予定より一日早くカンボジアに戻り、その度にますますつらくなっています。 カンボジアでは、ドクターは孤独で、仕事だけの毎日です。4日間はシエムレアプ、そして、3日間はプノンペンで過ごし、土曜日には、旅行者のためにチェロを弾いています。 幸せなことに、ドクターは、何よりも、地元での良い小児科医であることが第一で、毎日、病人を見舞い、報告書を読み、聞き、会議に出ます。 カンボジア人は、ドクターを仏陀とか、天使とか呼びますが、ドクターは一定の宗教に属してはいません。そして、同年代の人達のように、教会とか、又、他の宗教的組織かを、信用していません。ドクターは、つつましく、人間を信じなければいけない、そして、多分、一番信心深い人とは、不信心者ではないでしょうか、と考えているそうです。 大変に苦しい思いをなされているのですね。 同級生、同窓生の中で、ドクターのように、身も心も捧げて働いてきた方々、そして今も現役の方々に敬意を捧げます。 Mさんのクリスマス・リースです。「リースは、はんの木を丸くして、使いましたが、リボンは、赤のがいいですね。」 投票の結果ですが、 ・戦争物資の輸出禁止・否決 ・ミナレット建築禁止・可決 ・ミューレベルク原子発電所の停止延期解消・否決 待降節に入り、お話おじさん、お話おばさんが活躍しています。次回は、私もお話おばあさんになったつもりで、ドイツからアメリカに移民、そして、初めて過ごすクリスマスをテーマにして、クリスマスの小話をいたします。 はだか木の白樺の葉の散り敷きし芝生に今日も雨ふりつづく 雪子 テキストや、日本語に間違いがあったら、どうぞ、直してください。ご意見もお待ちしています。 まず、「コメント」をクリック、「コメントする」まで辿りついたら、「ニックネーム」と「本文」を書き入れます。最後の「コメント(会員用)」と「コメント」がありますから、「コメント」の方をクリックしてください。 |
| << 前記事(2009/11/26) | ブログのトップへ | 後記事(2009/12/11) >> |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2009/11/26) | ブログのトップへ | 後記事(2009/12/11) >> |