レマン湖畔より

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zoom RSS 組合活動した人に会いました

<<   作成日時 : 2017/01/10 00:44   >>

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感動した組合活動したシスターとの出会い、寒い外出時の服装、アラメア語の『主の祈り』、王様のパンの代わりに・・・。


*小さな人たちと生きるシスター・アニー・マリー

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昨年の12月、黙想の家に3度目の黙想に行きました。朝、食堂には、お茶とコーヒーとクッキーが用意されています。今回は、時間があったので、お茶に行きました。<写真上・黙想の家からの眺め」

「ご出身はどちらですか?」と、あるご婦人。

「日本です」と私。

「おはようございます。ありがとうございます。」

驚いてしまいました。

「20年間、スーパーでレジをしていました。出来るだけ、お客様の出身地の言葉で挨拶をしています。」


・貴族でありながら、庶民の中で生きたシャルル・ド・フーコー

講話が始まり、今日のテーマは「シャルル・ド・フーコーと共に祈る」で、最初に来た時の講師、フラッシュブ神父様が、シャルル・ド・フーコーを紹介しました。

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1858年、フランスの貴族の家に生まれ、両親を亡くし、軍人だった祖父に育てられ、軍人になります。放蕩生活をしていましたが、キリスト教にあいます。アルジェリアに渡り、モロッコに入国。その後、パレスティナのナザレに住みます。この村で、イエズスの30歳になるまでの生きざま、つまり、仕事、隣人との交友などを身に染みて感じます。その後、北アフリカに再度渡ります。トァレグ族に接し、トァレグ語とフランス語の辞書を作り、この辞書は今でも使われているそうです。1916年、アルジェリアのタマランセットで暗殺されます。

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・シャルル・ド・フーコーをを慕って修道会に

フラッシュブ神父様に「実際にシャルル・ド・フーコーを慕って生きているシスター・アニー・マリーです」と紹介されたのが、先ほど、食堂で会った方でした。今は、シスターでなくとも、大きな十字架を首にかけている人がいるし、平服で、シスターとは、思いませんでした。唯、シスターとか、ブラザーとかに見られる透き通る感じの方でした。

教師でしたが、28歳の時、修道会に入りたいと思ったそうです。外界と接触のない修道会はいやだったので、庶民の中で生きる修道会「イエズスの小さなシスター達」に入り、同じ町にあるスーパーのレジで働きました。

テレビで見ましたが、この修道会では、各地を回るサーカスなどで綿あめを売ったり、老人ホーム、陶芸工房などで、働いているそうです。

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・挫折

シスター曰く「シャルル・ド・フーコーは、弟子が一人も出来ず、最後には、暗殺されてしまい、挫折。私達の主、イエズス様も、最後に十字架に付けられ、これも挫折。」こんなことは、聞いたこともなかったので、驚いてしまいました。ところが、死後、この人の生き方に惹かれ、修道会が16も出来たそうです。(考てみたら、ゴッホ、ベートーベンなど、貧乏で亡くなり、死後、大きな影響を与えていますね。)

シスターも、シャルル・ド・フーコーの生き方に惹かれて、「イエズスの小さなシスター達修道会」に入ったわけです。社会的に何か出来ないか・・・と考えていた時、シャルル・ド・フーコーが、その当時のアルジェリアの権威を批判したことを思い出しました。当時、アルジェリアはフランスの植民地で、奴隷がいたそうです。奴隷は、奴隷から生まれた子供ではなくて、さらわれてきた子供だったそうです。

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・組合活動

シスターは、スーパーでは補助と言うのですか、本雇ではなく、でも、週に30時間働いたそうですが、契約書は無かったそうです。UNIA(ユニア・スイスで一番大きい組合)と連絡を取り、雇い主と交渉に入りました。何年かかかりましたが、スーパーが納得、契約書が貰え、時給は働いた年数が考慮されて計算されました。

同僚たちも、すぐではないのですが、後に契約が出来ました。シスターの場合は、働いた年数が考慮されたのに対し、最低賃金でした。

シスターは、同僚との接触が少ない、子供ベビー用品売り場にまわされました。

勇気がありますね。私は、人の後ろに隠れて、何事も無事に・・・と考えてしまいます。

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*公現の祝日にちなんで

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・寒い時には、どうしますか?

金曜日、夜、8時から、「公現の祝日」の為の聖歌練習でした。まだ、休暇から帰ってきていない人がいて、指揮者のジャン・ダニエルさん「聖歌隊というより、アンサンブルだね。」

今季、短いダウンのジャケットで、暖かくしてきました。周りの人たちは、ダウンの腰が隠れるの着ていて、暖かそうです。腰から下が恐ろしく寒く、ぶるぶる震えながら、帰ってきました。北風のビーズでした。零下7度だったそうです。

さて、日曜日、先日寒かったので、何を着ようか・・・と迷いました。毛皮のコート・・・と考えました。が、どうしても、着る気がしません。不思議ですね。以前、何も考えないで着ていたのに・・・です。

何か前に、ウィーンの民子さんに、毛皮のコートを着て撮った写真を見せてもらいました。「毛皮のコートを着て出かけるの?」と私。「いいえ、夜、オペラに行ったりする時だけです。今は、お年寄りで、ダウンを買えない人が毛皮のコートを着てきますね。」

やはり、ダウンのジャケットで出かけました。手首ウォーマー、厚い手袋、そして、厚いソックスに裏付きのブーツで、外に出たら、風もなく、暖かな感じでした。聖歌隊のポーレットさん「今朝は零下3度だから・・・」と。

・アラメア語の「父の祈り」

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「公現の祝日」のミサの司祭は、ポール神父様でした。イラク出身です。

「この日、幼子イエズスさまを訪ねてきた3人の王様は、世界中の人々を代表しています。自分の母国語で、『父の祈り』しましょう。」

神父さまは、アラメア語で歌って祈りました。

私は、日本語で、ボソボソと・・・。

アラメア語は、イエズスさまが実際に話していらした言葉です。

イラクから離れたスイスに住んでいる神父様。神父様の定年は75歳で、ポール神父様のお年ですね。

アラメア語を母国語とする人に会ったのは、二度目です。以前、夏にいつも行くシャンぺのホテルでアルバイトをしていた青年の両親がイラク出身で、アラメア語を家で話している、と言う事でした。知りませんでしたが、あの当時、既に、キリスト教徒が迫害されていたのでしょう。

・王様のパンの代わりに・・・。

『公現の祝日』の祝日には、王様の像が入ったパンを食べます。像の代わりに、豆が入っていたりします。私は、代わりにバナナの入ったパイを焼きました。アーモンドの粉とヌテラを混ぜたのを塗り、バナナを入れて、焼いたものです。あまり甘くなくて、夫に喜んでもらえました。でも、豆を入れるのを忘れたので、王様は、残念ながら、いませんでした。

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雪子


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