お葬式とお墓
「息子のお墓が無くなってしまって・・・」とマリア・ウンターエッガー先生は嘆かれました。リヒテンシュタインにいた時、公立の音楽学校でピアノを習っていたのですが、ご年配の先生は、スイスのバード・ラガッツ温泉から通っておいででした。お医者さんの未亡人で、お一人でお住まいでした。
日本の「・・・家の墓」にあたるお墓<写真上>は、古い家柄とか、有名な家を除いて、スイスにはあまりありません。
普通は、畳一畳くらいのお墓が普通で、亡くなった人が、次々と葬られていきます。初めは、仮に木製の十字架が用意され、お葬式の時の花束や花輪が土の上に置かれます<写真上>。そして、何ヶ月か後、今度は石の墓石が立てられ、その前にはお花が植えられます<写真下>。家族がたまに行き、お墓をお掃除し、季節ごとにお花を植え替えます。そうでない時は、業者と契約を結び、業者がお墓の世話をしてくれます。
地方自治体によりますが、場所が無くなってしまうので、ある年月が経つと、全部始末され、整理されて、又、新しく亡くなった人を受け入れることになります。それで、ウンターエッガー先生の嘆きなのでした。大人になった一人息子さんを亡くされて、25年か、30年経った訳でした。
ある人が年を取ってから亡くなって、25年、30年後なら、お墓が無くなってもたいしたことはありませんが、子供が亡くなった場合は、親はまだ生きていますから、嘆きも大きいですよね。
骨壷を入れるボックス型お墓もあります。
亡くなりますと、葬儀屋さんにお願いする訳ですが、昔は、お棺は胡桃材で、どっしりと重く、その方の社会的地位が思われるようでしたが、今は、100人に99人は、一番安いのを・・・望むそうです。
訃報聞く国際電話に言い違えどもりつ夫(つま)は背をかがめゆく
義妹(いもうと)の訃報なりしも夫の語る言葉のみだれはじめてに聞く
悲しみにうつぶしうめく夫の背にすべなき吾はただに泣きたり
そして、残された家族は、郵便で死亡通知を出しますね。
こちらの新聞には、二面に亘って、多数の死亡広告がでます。私たちの年代ですと、とにかく、まず、死亡広告を先に読む人が多いようです。広告には、簡単に聖書の言葉、たまには、亡くなった方の写真、そして名前、あだな、年齢、それから、夫が亡くなったとしたら、妻の名前と住んでいる地方自治体名、息子、娘、兄弟姉妹、ゴッドチャイルド・・・等の名前が載ります。そして、何時、何で亡くなったか、お葬式は何時に、何処で、それから、最後に、お花の替わりに、C団体へお金を送ってください、と出ます。
そして、以前には、遠縁の人の名前もずらっと並びましたが、広告は、一行いくらで計算するので、削る場合が多いそうです。そして、本当に節約する家族は、「A家は、ムッシューAの死亡通知をいたします」とだけだしますと、広告代を最低に抑えることが出来ます。
死亡広告ですが、A家だけではなく、故人のムッシューAが働いていた会社、顧問をしていた会社、サッカークラブでボランタリーをしていたらなら、そのクラブ、村の行政部に選ばれていたならその村など、夫々、広告を出します。
お葬式は、習慣として、教会でありますが、近頃は、ここなら、ローザンヌの便利な公共の葬式センターを利用するのが多くなりました。三式場があり、キリスト教でなくとも、お葬式をすることができます。死者安置所、火葬場も、駐車場も着いていて、バス停も近くです。
お葬式ですが、私が参加した中で、プロテスタントが一番多かったので、その場合を書きますね。
教会の入り口に箱があって、その中に手紙をいれます。手紙の中には、この近くでは、何も入れませんが、ドイツ語圏ではお金を入れます。
教会の祭壇の前に棺が安置されます。棺はお花で埋まり、回りには花輪が立てかけられます。花輪は、兄弟からとか、サッカークラブからとか、近所の人からとからとリボンに書いてあります。
遺族は一番前に座ります。まず、葬儀屋さんから、式次第の説明があります。式が始まると、荘厳なオルガン音楽が流れ、牧師さんから、聖書の言葉と死についてのお話があります。その中に、式以前に遺族から聞いていた、亡くなった方の経歴と美談が含まれます。その後、場合によりますが、遺族の言葉があり、葬儀屋さんからのお知らせで、「一人ずつ、死者に敬意を表して下さい。そして、式後、Bレストランでアペロが遺族から出されます」と。「死者に敬意を表す」ことですが、棺のある前まで出て行って、故人と遺族に敬意を表すことです。私は、日本人のせいか、棺の前で、最敬礼し、遺族にも、頭を下げますが、こちらの人は、私から見ると、ただぶらぶら、棺の方は見もせずに・・・と感じですね。多分、私の方が、こちらの人には、おかしく見えるのでしょう。
終ると、ローザンヌの葬儀センターなら、祭壇の壁が開いて、棺はそのままその中に押し込まれます。ピュイの教会なら、棺は葬送車に載せられてお墓に運ばれていきます。参加者はお墓に行く人あり、教会の庭でたまに会った人と故人に関しておしゃべりする人あり、そして、大抵の人はレストランに出かけていきます。アペロの後は、その家族の経済状態に応じて、選ばれた人達だけに食事が出されます。
夫々、勝手な服装で参加します。赤とかは見ませんが、ブルー、緑など、さまざまです。ここで、黒などを着たら、葬儀屋さんに間違えられてしまいそうですし、ちょっと、仰々しく感じられますね。
夫の甥が四十代で、まだ学校に通っている娘三人をおいて亡くなり、お葬式に行きました。公共の葬式センターであり、娘たちの同級生で、式場は満席、女性の牧師さんは明るいブルーのワンピース、遺族も華やかな洋服でした。祭壇の前には、ハートの形をした赤バラのアレンジメントが置かれて、牧師さんは、「太陽と鷹」の話をなさいました。「何だか変なお葬式・・・」と感じました。最後にアベマリアのオルガンでお終いでした。それまで知らなかったのですが、甥は教会をやめていたのだそうです。そして、牧師さんは雇いでした。洋服も、明るい洋服を・・・と打ち合わせてあったそうです。
火葬が増え、全体の83%という事です。
火葬になった人の約半数が、個人のお墓ではなく、共同墓地に葬られるそうです。聞こえが悪いので、「jardin du souvenir 思い出の庭」と言って、墓地の片隅にお花で埋まって所です。希望者が多く、村々でも作ったそうです。現在は、親族も遠くスイス、世界にばらばらに散らばり、お墓の世話が出来ないことも、大きな理由ですね。<ピュイ墓地の「思い出の庭」は一番上の写真>
私の実家ですが、妹は独身、従兄の娘二人は夫々結婚しているので、もう誰もいなくなります。そうすると、どうなるのでしょうか。
それから、火葬にしてもらい、灰をどこかに撒いてもらいたい、というのも多いそうです。
「棺は安いのに、死亡広告も簡単に、そして、埋葬は思い出の庭に・・・」にするのは何故か・・・、ですが、故人の遺志を尊重しての事だそうです。故人が、「残った遺族の迷惑にならないように・・・、そして、何事も地味に・・・」という事らしいです。地味に・・・という事の中に、目立たないように、無名で・・・ということもあるそうです。
夫の実家では、夫の父は土葬されてお墓が立てられました。そこに、夫の母も土葬で葬られ、そして、カナダで亡くなった妹の骨壷が入っていました。夫の父は馬が好きだったので、墓石に彫ってもらいました。1983年当時、こういう世俗的なのは珍しかったのでした。このお墓は、2009年初めに、取り払われてしまいました。ウィンターツールを通る度に、お墓参りに行っていましたが、行くところが無い、というのは、落ち着かないものですね。
夫は、「土葬にして」と言います。墓石も作って、私に毎日お参りに行って欲しいそうです。「土の中の虫も食べ物が必要だから・・・」と言うのですが、私にはゾッとします。
私は、火葬にしてもらい、思い出の庭に葬ってもらいたいです。
今回、初めて、私の大和歌を載せてみました。言葉遣い、文法など、私にはよくわからないのですが、散文よりも大和歌の方が、自分の気持ちがもっとよく表せるように思います。いきさつは、このブログの関連ホームページ、「上山小学校(昭和29年生)交流の場」で、9月9日付けの「飛鳥と平城山」を読んで、懐かしくなり、それ以来、手元にある万葉関係のを読んでいました。そして、もう20年前にもなりますか、書き溜めておいた大和歌を出してきました。
テオ君は12歳、ピュイ中学一年生、そして、ローザンヌ・スポーツクラブの付属アカデミー(学校)でサッカーをしています。週二回のトレーニング、そして、毎土曜日は試合です。2010年5月末、南アフリカで行われるフォルクスワーゲンのジュニア杯を目指して、M13(13歳まで)のテオ君のチームはヴォー州で勝ち、そして、テオ君がキャプテンとして率いるヴォー州選抜チームはスイスで優勝しました。<上の写真では、はっきりとは見えないのですが、赤のシャツを着ているのがテオ君です。)私は、余りの嬉しさに、ポテトチップスをプレゼントしました。ちなみに、テオ君は花ちゃんのお兄さんです。
次回は、古くて、新しく、エコなエネルギー源、木についてです。
雪子

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